本コンテストの基本的な考え方について

コンテスト実施代表者 定延利之

ここでは,本コンテストの背景となる学術的な問題意識と開催目的,さらに新しい展開や意義,研究成果を紹介した上で,コンテスト作品公開にあたっての考え方を説明しておきます.

1. 本コンテストの問題意識と開催目的1:音声言語データのオープン化

「音声言語は文字言語よりも,人間の言語として基礎的な地位を占める」という考えは,現代言語学の大前提となっています(例:Sayce 1990, Gray 1939, Hockett 1960, Potter 1975, Lyons 1981).しかしながら,現実には音声言語の研究は文字言語の研究に比べて大きく立ち遅れています.
この立ち遅れは単に学問上の問題として片付けられるものではなく,音声言語の教育や音声合成技術開発にも暗い影を落としています.
音声言語教育について言えば,たとえば日本語を学んでいる世界の学習者の多くは「ふつうの日本語母語話者のように日常会話が話せるようになりたい」と感じていますが,そのニーズに応えられるような,日本語の日常会話の話し方の解説書の開発は,未だごく初期的な段階にあると言わざるを得ません.ニュース原稿(つまり文字言語)を読み上げるアナウンサーの「正しい」話し方とは違った,一般の人の,ふつうの話し方というものが,まだほとんどわかっていないからです.
また,音声合成技術開発について言えば,東京オリンピック・パラリンピックをにらんで高精度の音声対話翻訳システムが開発されつつありますが,機械が「一般の日本語母語話者のようなふつうの話し方」でしゃべる技術はいまだ開発できていません.そのような話し方がよくわかっていないからです.
こうした理念と現実の乖離を生んだ原因としてまず考えられるのは,音声と文字の本来的な性質の違いです.つまり,文字が空間的にも時間的にも保存性に優れ,遠隔地への運搬や長期の保存に耐えやすいのに対して,音声が発せられた瞬間に消えるという「儚(はかな)さ」(ephemerality・rapid fading・transitoriness)を持っているということです.
とはいえ,このような音声の儚さは,音声そして動画を手軽に記録・編集・再生できる情報処理技術が開発され普及している現在,かなり克服されています.いまでは音声言語は,パラ言語(韻律や声質など,Poyatos 1993)や非言語(しぐさ・表情など),さらに状況や相手などと同様,音声コミュニケーションあるいは会話という広い枠組の中で分析されるようになっています.
いまだ克服されていない音声言語研究の問題は,分析以外の部分に,つまり言語研究のプロセスをごく大雑把に「データ」「分析」「成果発表」に区分すると「データ」と「成果発表」の部分にあると言えます. 「データ」の問題とは,収録された音声言語のデータが個々の研究者ごとに秘蔵され,共有化が進まないという問題です.「成果発表」の問題とは,成果発表の最終形態である論文や著書というものが基本的に紙媒体であって,電子媒体であっても,論文本文を読み進めながら実際の音声データや動画データを視聴できるような形にはなっていない,隔靴掻痒の状態にあるという問題です.
私たちは音声言語の研究と教育を進める中で,データの問題・成果発表の問題を「オープン化」つまりデータや成果をインターネットを通じて世界じゅうのどこからでも無料で視聴そしてダウンロード可能な形で公開するという手段で解決しようとしています.「学術情報のオープン化」が叫ばれだして既に久しいわけですが(村山・林 2014),(音声科学ではなく)音声言語に関する人文学的研究領域では,データや成果の共有化はなかなか進んでいません.この状況を少しずつでも変えていこうと考えた次第です.
成果発表の問題については,2006年に日本語教育学会のテーマ研究会として日本語音声コミュニケーション教育研究会を発足させ,2013年からこの研究会の会誌として電子雑誌『日本語音声コミュニケーション』を刊行し(ISSN 2187-6177),ネット上で公開しています(http://www.speech-data.jp/nihonsei/seika.html).この雑誌は本文中に動画や音声がそのままはめ込める形をとっており,その利点を活かして,動画・音声データをふんだんに含んだ日本語・英語論文を掲載しています.
そもそもこれまで,収録された音声言語のデータが個々の研究者ごとに「秘蔵」されがちで,共有化がなかなか進んでこなかったのはなぜなのでしょう? 考えられる理由の一つは,他の研究者が収録したデータは,それが利用可能になったとしても「会話参加者どうしの人間関係」や「過去の経緯」が(収録した研究者ほどには)わからない以上,データの理解も収録した研究者には及ばないということです.もう一つ考えられる理由としては,研究者は自分が保有しているデータの観察だけで忙しく,ありきたりの内容のデータであれば,わざわざ他人のデータにまで食指が動かないということがあります.
そこで私たちは平成20 年度以来,「わたしのちょっと面白い話」と銘打った小規模なコンテストを試行し,参加者たちの短く面白い話を音声と動画の形で収録して字幕を(一部は多言語で)付け,コーパスとしてネット上に公開してきました.というのは,「面白い話」には誰しも興味を覚えやすく,またネット上で不特定多数に審査されるコンテストでは,参加者たちは自分たちの背景や文脈を知らない視聴者にも理解しやすいように話し,話のわかりにくさが改善されることが期待されたからです.
以上のような問題意識のもとにおこなわれているのが本コンテストです.

2. 本コンテストの問題意識と開催目的2:話し方のインヴェントリ解明

本コンテストで公開されている日本語コーパスは,動画付き・字幕付きといった点で世界唯一であるだけではなく,「面白い話」という内容の点でも,他に類を見ないものになっています.この背景に「音声言語研究のためのデータのオープン化の促進」という狙いがあることは既に述べましたが,「面白い話」を収録する目的は他にもあります.それは,「日本語の話し方のインヴェントリ(目録)の解明」ということです.以下くわしく説明しましょう.
たとえば,私たちが日本の食文化を調べようとするとします.その際,北海道民40 人と沖縄県人60 人から成る100 人の食生活を調べて「日本人は4 割はヒツジをよく食べるが,6 割はヤギをよく食べる」とすることは適当ではありません.サンプルをとるなら,あらかじめ「日本にどのような食文化がどのような地域・世代にわたりどれだけ存在しているか」を漠然とでも調べた上で,それを勘案してバランスの良いサンプルをとらねばならないということは,当然のことと言えるでしょう.
この当然の理屈からすれば,私たちは「日本語社会にはどのような話し方が,どのような地域・世代にわたり存在しているか」についてまだほとんどわかっていない以上,音声言語の「良いバランス」をとれず,したがってサンプルもうまくとれないということになります.会話分析という研究分野の創始者の一人であるシェグロフ(Emanuel Schegloff) がサンプル調査(計量分析)に懐疑的なのも(Schegloff 1993),まさにこのためと言えます.
このような状況を脱するには,日本語社会における「話し方のインヴェントリ(目録)」(つまりどのような話し方があるか)と「個々の話し方の割合」(それぞれの話し方はどのように,どれだけ分布しているか)を把握して,少しでも「良いバランス」を把握する必要があります.
私たちが音声言語のデータ収録と公開を「面白い話」に特化した形でおこなっているのは,データの共有化ということの他に,「話し方のインヴェントリ解明」という目的を意識してのことです.「面白い話」は盛り上がりを持つだけに,単調な会話を何十時間調べても現れない話し方が,「面白い話」のコーパスでは短時間で見つかるといったことが珍しくないからです(Sadanobu 2014).

3. 本コンテストの新展開:「面白さ」「話し方」の文化比較

5 年間で約150 話の「面白い話」が収録・公開でき,研究者の注意も或る程度集めたことを受け(2013年10月開催のワークショップの参加者 は82 名でした),これまでの試行から,新展開を盛り込んだ,本格的な実施への移行を考えるに至りました.
その契機となったのは,「面白さ」の文化差です.試行最終の5 年目に,イギリス・中国・フランス・ロシアの日本語学習者による日本語の「面白い話」を試験的に若干収録したところ,日本語母語話者の話には見られない「面白い話」が観察されました.
この「面白さ」の違いは,それ自体,学問的に追求する価値があると考えられます.というのは,伝統的な発話研究(発話行為論)はオースティン(John Langshaw Austin)・グライス(Herbert Paul Grice)・サール(John Rogers Searle)ら言語哲学者に先導される形で発展してきたこともあり,文化の多様性への目配りが必ずしも十分にはなされていないと言われるからです(Wierzbicka 2003).これまでに,特に文化差を考慮しない伝統的な発話行為論の観点から,丁寧な発話(Leech 1983)やアイロニー発話(Sperber and Wilson 1981)だけでなく,ジョーク発話(小泉 1997)や漫才のボケ発話(金水 1992)のような「面白い発話」も分析されてきていますが,近年では文化の多様性を重視するヴィアズビカ(Anna Wierzbicka)のような立場も活発になっています.文化間で「面白い発話」がズレていること,個々の言語文化がその文化に特有の「面白い話し方」を持っていることにも注意が払われてしかるべきでしょう.
この「面白さ」の違いを明らかにすべく,今後は日本語母語話者に限らず学習者も含めて広く展開したいと考えています.

4. 本コンテストの意義

本コンテストの意義は,上述した諸点(データの共有化への貢献・日本語の話し方のインヴェントリ解明への貢献・「面白さ」をめぐる通文化比較研究への貢献)に尽きるものではなく,さらに分野を超えて多面的なものがあります.
まず,落語や講談といった伝統話芸はよく記録されますが,同時代(21 世紀初頭)の,それもプロではなく一般人による民間話芸を,音声と動画の形で記録し公開していく試みは珍しく,それ自体エスノグラフィー的な観点や近年のスキルサイエンス的観点から見て大きな意義があると考えられます.スキル概念を持たない文法理論は最終的には破綻すると言われるように(Durie 1995: 304 note 3),この意義は文法研究とも無縁ではありません.
また,日本語学習者による「面白い話」は,日本語教育学・日本語学の有益な検討材料となります.予備的な調査の結果からすれば,日本語学習者は日本語で「面白い話」をすることに概して積極的ですが(定延・奥村・宿利・昇地2014),日本語での「面白い話」の仕方を教わっていないせいか,上級者でもさまざまな間違いを犯しています.特に,日本語の話の流れを制御する談話技法を学習者にどのように教え,習得させるかを検討するための材料は,「面白い話」コーパスの随所に見つかるようです.
さらに本コンテストは,今後のコーパスのあり方にも影響を及ぼす可能性があります.特に人文学的研究の場合,音声言語研究といっても音声にしか注目しなければ解明できることは限られており,動画(会話参加者の表情や仕草,状況など)にも注目すべきであるとよく言われますが(例:Auer 1992, Goodwin 1995, 菅原・佐藤・伊藤 2002, 菅原 2010: 第3章),自分の「面白い話」が音声だけでなく,動画も加えた形でネットで公開されるということに抵抗感を持つインフォーマントは依然として少なくありません.音声動画データをネットで公開する本研究が世に広く知られるようになれば,インフォーマントのそうした認識が変わり,「音声+動画で公開」の流れが一般的なものとして定着する可能性があります.
最後に述べておきたいのは,「面白い話」にこだわることは,人を元気に,人生を豊かにする力があるということです.老いるとは「面白い話」を沢山ため込む楽しいことです.他者とは敵ではなく,自分の知らない「面白い話」の持ち主で,それらの「面白い話」は私たちに聞かれるのを待っています.外国人なら,少しテイストの違った「面白い話」が聞けるでしょう.つまり本コンテストの究極的なインパクトは,言語研究にとどまらず,ウェルネスにまで行き着くものだと我々は考えています.

5. これまでの研究成果

 本コンテストを用いた研究成果の例は以下のとおりです.

論文集・論文
[1] 定延利之 2018 『限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究』.東京:ひつじ書房.
[2] Sadanobu, Toshiyuki. forthcoming. ““Funny talk” corpus and speaking style variation in Spoken Japanese.” In David Hebert (ed.), Translation, Education, and Innovation in Japanese and Korean Societies, Springer.
[3] 定延利之 印刷中 「日本語文法研究と関連領域との協働:或る音声言語研究を例に」『日本語文法』第16巻第2号.
[4] 定延利之・林良子 印刷中 「コミュニケーションからみた「剰余」の声」『音声研究』第20巻第2号.
[5] 定延利之 2016 「内言の役割語:ことばとキャラクタの新たな関わり」金水敏(編)『役割語・キャラクター言語研究国際ワークショップ2015報告論集』pp. 14-31.
https://www.dropbox.com/s/loimsi14bmia6n4/RLW.S.2015report.pdf?dl=0

学会発表
[1] 大工原勇人 2016年12月11日(予定) 「フィラー「コー」における心内情報処理」日本語文法学会第17回大会,神戸学院大学.
[2] 林良子・国村千代 2016年7月7日 「遠隔授業における異文化コミュニケーション能力:「面白い話」を題材とした仏日共同授業から」AJE 2016,ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学(イタリア).
[3] 定延利之・林良子 2015年10月4日 「コミュニケーション研究からみた「剰余」の声」,日本音声学会第29回全国大会ワークショップ「「剰余」の声とそのとらえ方」,神戸大学(『音声研究』第19巻第3号, p. 59).
[4] 定延利之・田畑安希子・Pourik Irina・宿利由希子・山元淑乃・Ghislain Mouton・新井潤・孟桂蘭・森庸子・奥村朋恵 2014年12月13日 「音声言語研究のデータと成果をオープン化する取組とその問題点」,人文科学とコンピュータ2014,国立情報学研究所.
[5] 定延利之・奥村朋恵・宿利由希子・昇地崇明 2014年9月19日 「「面白い発話」の言語間対照のための準備的考察」日本認知科学会第31回大会,名古屋大学.
[6] Sadanobu, Toshiyuki. 2013.8.22. ““Funny talk” corpus and speaking style variation in spoken Japanese,” NAJAKS 2013, University of Bergen (Norway).
[7] 金田純平・波多野博顕・乙武香里・定延利之・田畑安希子 2013年8月18日 「関西地方在住の女性による笑い話の特徴:語りの構成と話者の韻律・非言語行動に注目して」Urban Language Seminar 11,広島市文化交流会館.

会議開催
[1] 2017年3月10日(予定) 「国際ネットワークを活かした「コミュニケーションの剰余情報」教育の世界展開」神戸大学ブリュッセルオフィス(ベルギー).
[2] 2016年10月1日(予定) 「プロフィシェンシーと語りの面白さ」第2回,三宮コンベンションセンター.
[3] 2016年9月10日(予定) 「「面白い話」で世界をつなごう」ICJLE 2016, Bali Nusa Dua Convencion Centre(インドネシア).
[4] 2016年7月7日 「「面白い話で世界をつなぐ」とは?」AJE Global Network get-together,AIDLG-AJE主催日本語教育シンポジウム,ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学(イタリア).発表者:鎌田修・国村千代・定延利之・仁科陽江・萩原順子・林良子.
[5] 2016年3月4日 「国際ネットワークを活かした民間話芸調査研究の世界展開」神戸大学ブリュッセルオフィス(ベルギー).発表者:岩本和子・奥村朋恵・国村千代・櫻井直子・定延利之・宿利由希子・昇地崇明・楯岡求美・仁科陽江・萩原順子・林良子・Irina Pourik,参加者24名.
[6] 2015年10月4日 「プロフィシェンシーと語りの面白さ」西宮市市民交流センター.講演者:瀬沼文彰,発表者:定延利之・嶋田和子・白鳥文子・宿利由希子・杉本香・三井久美子・Ghislain Mouton・羅希,参加者54名.
[7] 2013年11月27日 「日本語教育研究の新しい時代へ:わたしのちょっと面白い話をめぐって」北京日本学研究センター(中国).発表者:定延利之・大工原勇人・羅米良,参加者 約80 名.
[8] 2013年10月11日 「「わたしのちょっと面白い話」は外国語に訳せるか?:日本語・翻訳・会話・面白さ」TKP大阪梅田ビジネスセンター,発表者:新井潤・Anthony Higgins・定延利之・Ghislain Mouton・森庸子・孟桂蘭・山元淑乃,ディスカッサント:山口治彦,参加者 82名.

座談会
[1] 定延利之・岩本和子・楯岡求美・林良子 「わたしのちょっと面白い話と倫理」2015年2月10日,神戸大学.

6. コンテスト作品公開にあたっての考え方

 一般に「面白い話」は,私たちの偽りない日常感情に基づくものであるだけに,個人情報やあまり道徳的ではない事象などと結びつくこともあり,インターネットでのオープン化になじむかどうか,法的・倫理的な観点からの検討が必要と考えられます.日本語母語話者にかぎって収録をしていた段階でも,どのようなデータを作品として受け付け,また公開するのかについて,私たちは検討を重ねてきましたが,これから背景文化の異なる日本語学習者の「面白い話」を収録していくにあたって,検討の概要を外部から見えるようにする必要があると考え,以下に記しておきます.
検討の結果得られている指針は,次のとおりです.
(1) 特定可能な個人への否定的評価と強く結びつくと思われるものは,公開していません.
(2) 話し手ご本人を大きく害する可能性があると思われる話の場合は,ご本人が承諾されていても,お顔の画像をぼやけさせます.
(3) いわゆる露骨な下ネタは公開していません.
(4) 民族関係のものは,それが一般的なエスニック・ジョークとして成立していなければ公開していません.
(5) エスニック・ジョークを公開することについては,被害者が特定されないため,法律的には民事・刑事とも問題ないということ,弁護士に相談の上確認してあります.
具体的な個々の作品の公開可否をめぐっては,各々の民族事情に詳しい専門のスタッフをも交えた会議を開催して検討しています.
「面白い話」の暴力性は排除し,しかし「面白さ」は削いでしまわないように,なお検討を続けていきたいと考えています.公開された作品を視聴されてお気づきの点がありましたら,下記までご連絡ください:
〒606-8501 京都市左京区吉田本町
         京都大学大学院文学研究科 定延利之
sadanobu.toshiyuki.3x[at]kyoto-u.ac.jp

言及文献
Auer, Peter. 1992 "Introduction: John Gumperz' approach to contextualization." In Peter Auer, and Aldo Di Luzio (eds.), The Contextualization of Language, pp. 1-37, Amsterdam; Philadelphia: John Benjamins.
Durie, Mark. 1995 “Towards an understanding of linguistic evolution and the notion "X has a function Y".” In Werner Amraham, Talmy Givón, and Sandra A. Thompson (eds.), Discourse Grammar and Typology: Papers in Honor of John W.M. Verhaar, pp. 275-308, Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins.
Goodwin, Charles. 1995 "Sentence construction within interaction." In Uta M. Quasthoff (ed.), Aspects of Oral Communication, pp. 198-219, Berlin; New York: W. de Gruyter.
Gray, Louis H. 1939/1950 Foundations of Language [2nd Printing]. New York: The Macmillan Company.
Hockett, Charles F. 1960 "The origin of speech," Scientific American, Vol. 203, pp. 89–97.
金水敏 1992 「ボケとツッコミ――語用論による漫才の会話の分析」『上方の文化 上方言葉の今昔』No. 13, pp. 61-90, 大阪:和泉書院.
小泉保 1997 『ジョークとレトリックの語用論』東京:大修館書店.
Leech, G. 1983 Principles of Pragmatics. London: Longman.
Lyons, John. 1981 Language and Linguistics: An Introduction. Cambridge: Cambridge University Press. [ジョン・ライアンズ(著)・近藤達夫(1987訳)『言語と言語学』東京:岩波書店.]
村山泰啓・林和弘 2014 「オープンサイエンスをめぐる新しい潮流(その1) 科学技術・学術情報共有の枠組みの国際動向と研究のオープンデータ」『科学技術動向』第146号, pp. 12-17.
Potter, Simeon. 1975 Language in the Modern World. [Revised Edition] Westport, Conn.: Greenwood Press. Poyatos, Fernando. 1993 Paralanguage: A Linguistic and Interdisciplinary Approach to Interactive Speech and Sound. Amsterdam; Philadelphia: John Benjamins.
Sadanobu, Toshiyuki 2014 ““Funny talk” corpus and speaking style variation in spoken Japanese, Proc. of NAJAKS 2013.
定延利之・奥村朋恵・宿利由希子・昇地崇明 2014 「「面白い発話」の言語間対照のための準備的考察」日本認知科学会第31 回大会ポスター発表,2014 年9 月19 日,名古屋大学.
Sayce, Archibald H. 1900 Introduction to the Science of Language. [4th Edition] Vol. I. London: Keegan Paul, Trench, Trübner & Co. Ltd.
Schegloff, Emanuel A. 1993 "Reflections on quantification in the study of conversation," Research on Language and Social Interaction, Vol. 26, No. 1, pp. 99-128.
Sperber, Dan, and Deirdre Wilson. 1981 "Irony and the use-mention distinction." In Peter Cole (ed.), Radical Pragmatics, pp. 295-318, New York: Academic Press.
菅原和孝 2010 『ことばと身体―「言語の手前」の人類学』東京:講談社.
菅原和孝・佐藤知久・伊藤詞子 2002 「会話テキストはいかにわからないか―相互行為への投錨」, 菅原和孝(研究代表者)『相互行為の民族誌的記述的記述―社会的文脈・認知過程・規則』(平成11-13年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究成果報告書), pp. 5-36.
Wierzbicka, Anna. 20032 Cross-cultural Pragmatics: The Semantics of Human Interaction. Berlin: Mouton de Gruyter.

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